初心に帰る、初心を忘れないとはなんでしょうか。
あなたも仕事、趣味習い事など、何かを勉強し向上していく際、上司や先生から言われたことがあるのではないでしょうか。
でも実際、初心と言われてもその時のことは忘れてたり、そもそも初心とは何?となりませんか。
私自身もお茶を勉強し、しばらくたっても初心がわからず苦労していました。
インストラクターになって5年が経った今でも時々初心ってなんだ?と感じることがあります。
今日は、初心とは何かを私が教わった話をまじいてお話したいと思います。
いろいろな考え方があり、教えてくれる人によっても意見は様々だと思います。
でも、私の学んだことはきっとあなたの役に立つと思います。
初心とは何か、その答えの参考にしていただけたら幸いです。

初心とは、自分が初めて楽しいと感じたときの気持ち
お茶の素晴らしをより多くの人に伝えたいと日々思いながらお茶を嗜んできました。
もちろんインストラクターとしても当然伝え、広げていくべきだと思っていますが、それよりなによりお茶好きとしてという気持ちのほうが大きいです。
私が出会ってきた茶人(プロアマ問わずお茶好きな人)はみんな一貫して誰かに伝えたいという欲求を持っていました。
自分の好きなものを人に伝えて喜んでもらえる、この上ない喜びだと思います。
それをするうえで大切なこととは何でしょうか。
自分が知り、感じたことしか伝えられない
人に何かを伝えるとき、伝わるかどうかは自分がどれだけ感じたかにかかっています。
知っているというのは知識だけでは不十分で、経験がカギになります。
経験をしたうえで感じたこと、人にはそれしか伝えることが出来ません。
少し難しい話をしますが、あなたはお茶を誰かに伝えたい時、お茶のおいしさや楽しさを伝えたいのではないですか?
学校の授業のようにただ教科書を読んで、問題の解き方や歴史を伝えるのではなく、なぜお茶が素晴らしいのか、こんなにおいしくて魅力的なものを自分が知るだけではもったいないと、そう感じているはず。
そこに必要なことはあなた自身がたくさん感じ、感動すること、それがすべてだと教わりました。
インストラクターになって勉強していると、どこかで義務感のようなものが生まれてしまいます。
インストラクターにならずともこのようなことは起こります。
自分はお茶が好きだから、誰よりも知りたいから、プロになるのだから、どこか追われるままにお茶を飲んだり本を読んだりした経験がありました。
そのまま誰かに伝えると、押し付けのようになり、正しいことだけを伝えようとしてしまいます。
もちろん、すべての人がそうなるわけではありませんが、初めてお茶で感動した瞬間や楽しかったことを忘れてしまう瞬間が生まれてしまうことがあります。

初心に帰るとは
プロの方がみな口を揃えて教えてくれる、初心に帰れという意味。
それは
初めて楽しいと感じたときや感動を味わったときのこと、そして今も自由で楽しいと感じているときの気持ちを忘れない
ということではないかと思います。
実際私が教わった師匠たちは常に楽しむことを心がけていました。
いえ、実際に楽しんでいました。
もちろん、プロになるための教えは厳しくある時もありました。
しかし一般向けの講座や、知識の伝授などとても楽しそうに話されていました。
初心に帰れ、すなわち自分が勉強し始めたときのことを思い出す。
どんな気持ちでそれに臨んでいたか、その時の気持ちがより向上させるきっかけになる。
私の師もいつもそう話してくれていました。
どんな世界もプロであれば楽しんできた
どんな世界も共通してプロである人はそのものを必ず楽しんでいます。
人一倍努力するのは当たり前ですが、そこに初心を忘れない、つまりいつも楽しむことを忘れないのです。
あなたも誰かにお茶を伝えたいのであれば、全力でお茶を楽しむことをお勧めします。
その他の仕事や、習い事などであれば全力でそれを楽しみましょう。
茶人としてもう一つ大事な心 これも初心の一つ
その心とは、世界一美味しいお茶を飲んでほしいという、相手を思いやる心です。

千利休が目指した茶道の心
茶道の所作を完成させたと茶人である千利休。
茶道の心すべてとは言いませんが、そこに精通している人のほとんどは。
その心とは利休の大切にしていた、おいしいお茶を飲んでほしいという気持ちだけでした。
かつて茶の間に客人を招いた利休は、茶道の所作や日本文化の美しさを見せたかったわけではなく、位や土地柄など関係なくみな同じ空間で同じようにお茶を楽しんでほしいというそれだけを願って茶を点てたという逸話が残っています。
茶道とは高貴なもので、お茶を伝えるための文化であり、びしっと真面目に向き合う少しお堅いイメージもありましたが、千利休の逸話などを知ると、その根底にあるものがとてもシンプルで何より大切なものだと気づかされます。
華やかな茶の湯に対して、簡素簡略さとその精神性を追求したと、美談として語られる【わび茶】の心とは、純粋にお茶だけを見てお茶だけをみんな同じように楽しんでほしいという、とてもシンプルな考えだったと知ったときは感動しました。
茶道の師範級はみな理解している心
銀座のお茶屋で働いているとき、茶道の師範にお茶を習ったことがありました。
かれこれ40年以上お茶を点ていたその方が一番大切にしてほしいと教えてくれたこと。
美味しいお茶を飲んでほしいという気持ちだけで点てる
ということでした。
もちろんお客様にお出しするお茶であり、所作はしっかり習得し、完成されたお茶を出すことは当たり前です。
気持ちだけでどうにかなるとは思っていませんでした。
それでも、所作が下手でも何でもいい、ただ相手においしいお茶を飲んでほしい、その気持ちだけでお茶は美味しくなるものですと、何度も言われました。
この言葉が今もずっと頭から離れません。
タイトルに茶人として大切な心と書きましたが、茶人のみならずどんな分野でも誰かを思いやりながら進めていくことは大切なことで間違いないと思います。
あなたも何かを目指したとき、自分が楽しいと感じたと同時に、誰かのためにという気持ちがあったのではないでしょうか。
芸能関係なら見てくれる誰かに感動してもらたい、飲食関係なら食べてくれる人においしいと感じてもらいたい。
その気持ちは誰かのためにというただそれだけが原動力になっていたはずです。
少し道を進めばそんな誰かのためにという気持ちも薄れてしまいます。
それは自分が大変な思いをしていたり、余裕がなくなったり要因は様々です。
それでも、いつも誰かのためにを思い出せれば、あなたの仕事や学びは安定してくるです。
行きつくところは楽しむことと人を思いやる気持ち
誰かに教わったのか、長く携わっていてれば気付くのかそれはわかりませんが、いずれにしても
楽しむことと人を思いやる気持ちが大切であるということです。
思い返してみれば本当に好きなこと、夢中になっていることはいつどんな時でも楽しいと感じます。
そして自分の好きなことを誰かにお話しするとき、とても楽しい気持ちになります。
そんな気持ちを忘れずにいることが何かの魅力を伝えるときに大切なのだと思います。

 
					 
					 
			 
			 
			 
			 
			 
			 
			 
			
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