コラム

お茶の深みは人の深み、その人の人間性は淹れたお茶が語ってる

お茶ってすごく不思議なんですよね、どれだけ同じお茶、同じ道具、同じ条件で淹れても、必ず淹れた人の味になってしまいます。
おそらくどんな分野のどんなものでも、作品にはその人の性格がでるものなでしょうね。

お茶の深みは人の深み

これは物事を深く考えながら生きている人にしかわからない話だと思いますが、料理にしても、芸術品にしても、人が作るものはその人の個性が出る、その人の人生の深みが出てくるものだと思います。

不思議なもので、どんなに知識や技術があったとしても、それを支えるだけの経験がない人はその知識技術を活かすことが出来ないのでしょうね。

僕は普段からいろいろな人のお茶を飲みますが、やはりお茶に長く携わっている人が淹れてくれるお茶は本当に美味しいです。
なんというか、深くしみてくるといいますか、言葉は何もいらずただ、ふぅ~と落ち着くだけで満足できます。
こんなお茶を自分の淹れられるようになりたい、、、、
どう考えていけばいいかはわかる気がしますが、答えはしばらくでなさそうです。

答えは飲んでくれる人が出してくれる

お茶を勉強し始めたころ、僕はいつも答えを探していました。
この産地はこんな味がする、この品種はこんな味、淹れ方はこう、そんな考え方で淹れていたことを覚えています。
美味しいお茶の淹れ方はきっとある、決まった方法があるはずだと信じていました。
その答えがあると楽なんですよね、それ通りすればいいだけだからすぐに美味しいお茶が淹れられるようになりますし。
それがそうじゃないと気づけたのはごく最近の話です。
美味しいお茶を淹れられてるかどうかは、飲んでくれる人が決めるものだと気づきました。

美味しいお茶を飲んでもらいたいという気持ちがあったからこそ誰かが決めたルールに沿って淹れたかったんだと思います。
そうすれば失敗がないし安心だから、、、答えを見つけたいと思っていました。

しかしそれでは本当のお茶の味を伝えることはできません。
そのお茶の個性を無視して、自分自身を無視して機械のごとく淹れたお茶に味なんかあるわけがないのです。
長くそれに気づけないでいました。

お茶の味を追求することから逃げている、、?
もっと美味しいお茶を淹れるためにはどうすればいいのか、向き合い方を変えるのはしんどかったですけどね。
答えを見つけたと思っている僕に、それ以上の成長はないということですし。

向き合い方を変えれば味が変わる

誰かのお茶を飲むということを続けているのは、自分のお茶と向き合うためです。
その人のお茶の深みを感じることで、ずっと初心でいられます。
どんなに練習してもまだまだ追いつけない、だからこそその人の生きざまや人柄を知ってお茶を知って自分を知る。
何かを学ぶということはこういうことの繰り返しだと思います。

そしてもう一つ、自分が飲ませたいお茶の味、お茶を栽培する人の個性や売りを探すことを教えてもらいました。
お茶のこんな味を知ってもらいたいという意識でもって、目の前のお茶を淹れる。
あるときはこのお茶のうま味を知ってもらいたいと思うでしょうし、またある時はこのお茶の苦みは気持ちいいから是非、と思うときもあると思います。

お茶の味は一定ではないんです。品種が同じでも、産地が違えば味は変わる。産地が違っても、育てる人が変わればまた、味は変わるのです。
そのお茶の売りや個性を見つけることも、お茶を伝えるためには大切なのではないかと思います。

この向き合い方がいいか悪いかはわかりませんし。
今後考え方も変わっていくかもしれませんし、そしたらまた向き合い方も変わると思います。

ただ、大切なのはどうしたらお茶が美味しくなるかを常に考えていくことと、そのお茶だけでなく、農家さんや育った背景も気にすること。

これが今の僕が持つ、お茶への向き合い方です。