MENU

お茶の深みは人の深み思考の深み、その人の人間性は淹れたお茶が語っている

お茶の深みは人の深みと聞いたことがありますか?
美味しいとは少し違う、深みのある香りや味わいです。
長年熟成されたウィスキーやワインなどによく聞かれることだと思います。

しかし、お茶はそこまで長く熟成させることは多くありません。
その上で深みのある味や香りとは何でしょうか。

お茶の味には活きた

目次

お茶の深みは人の深み

私自身いまだに何故?って思うことが一つあります。
それは、どれだけ同じお茶、同じ道具、同じ条件で淹れても、必ず淹れた人の味になってしまいます。
つまり、淹れる人によってお茶の味は変わるということです。

お茶教室で講師をしていた時の話ですが、8人の受講生に淹れ方を教えました。
茶葉の量、お湯の温度、急須の振り方、すべて同じ条件で淹れていただきました。

しかし、飲み比べるとすべて違う味のお茶が出来上がってしまいました。

それぞ思考嗜好の違いがお茶の味に変化を生む

ここでお茶の味が変わることの要因として挙げられるのが、お茶を言えるときに何を考えて淹れているかということです。
これはお茶を淹れる人なら理解していただけると思いますが、例えば、相手に甘味のあるお茶を飲んでもらたいと考える人と、相手にすっきりとしたお茶を飲んでもらいたいと考えるのでは、お茶を淹れる手つきが変わってきます。
お湯の温度の調整なのか、急須の振り方なのか、考えることに合わせているかの如く変化します。

つまり、淹れ手の嗜好がお茶の味を変えているのです。

お茶淹れを習ったばかりの人でも、しっかりと思考を凝らして淹れていたりします。
無意識であっても、小さなことでも考えて手を動かします。

この思考部分だけは同じように教えてあげられないので、結果、お茶の味は変わります。

思考の深さこそがお茶の味の深さになる

これは私の師に教わったお話です。
思考の深さとは、一つ一つのことに疑問を持ち、そのことを理解しようとする又は改善しようとすることで導き出されるものであるというものです。

お茶を淹れて飲んだ時、なぜこのお茶は甘いのだろう。と疑問に思うことが始まりです。
お茶の淹れ方を教わった時、

・なぜお湯の温度は70℃なのか、71℃ではだめなのか、
・1分が2分になるとどうなるのか。
・このおいしいお茶を80℃のお湯で淹れることはできないだろうか。

これは一例ですが、こうしてあらゆることに疑問を持ち、思考を凝らして物事を深く考えている人は、物事を深く理解することが出来ます。

思考を深く持つことで必ずしもお茶に深みが出てくるとは限りませんが、少なくともお茶に深みがある人は思考を深く持つ人です。

何十年もの歴史があるお茶屋さんであっても、ただ数を淹れている人であればお茶に深みはありません。
逆に、インストラクター1年目であったとしても、深く思考してきた人であればお茶に深みがでます。

ここに年齢も関係ありません。
ただただ、深く理解しようと意識できるかどうかの違いです。

知識や技術よりも思考が大切

本を読んで知識を得たとしても、その知識を深く理解できなければそのことについて語ることが出来ません。
技術を学んであることが出来るようになったとしても、その技術を深く理解できなければ応用が利きません。
一つのことを極めることはとてつもなく時間がかかります。
それは、その知識や技術の深いところまで思考し理解をする必要があるからです。

これはなぜ生まれたのか、なぜこの方法なのか、なぜ必要なのか、なぜこうではないのか。
一つの知識や技術をもとに、あるゆる角度から疑問を持ち、深く思考することが後に大きなことを生み出すきっかけになります。

世の中の成功する人とそうでない人の差は、まさにここにあります。

お茶の深みは人の深み

さて、ここまで人の思考の話をしてきましたが、改めてお茶の深みについてお話します。

お茶は、熟成させてたとしても数年程度がほとんどであり、品質的な観点からの深みは出にくいものです。
そこでお茶に深みが出るというのは、ほぼ100%淹れる人の技術になります。

答えは飲んでくれる人が出してくれる

お茶を勉強し始めたころ、僕はいつも答えを探していました。
この産地はこんな味がする、この品種はこんな味、淹れ方はこう、そんな考え方で淹れていたことを覚えています。
美味しいお茶の淹れ方はきっとある、決まった方法があるはずだと信じていました。
その答えがあると本当に楽だと思います、なぜならその通りにすればいつも美味しいお茶が淹れられるようになります。

しかし深みのあるお茶を淹れる人は、相手に合わせてお茶の味を変えます。
お茶の種類や状態によって、微妙な調整をされます。
そしていつも本当においしいお茶とは何かを追求していました。

美味しいお茶を淹れられてるかどうかは、飲んでくれる人が決めるものだと、そう教わりました。

向き合い方を変えれば味が変わる

誰かのお茶を飲むということは、自分のお茶と向き合うということだと思います。
その人のお茶の深みを感じることで、ずっと初心でいられます。
どんなに練習してもまだまだ追いつけない、だからこそその人の生きざまや人柄を知ってお茶を知って自分を知る。
何かを学ぶということはこういうことの繰り返しだと思います。

どうしてこの人のお茶はこんなにも深くなるのだろう。

どれだけ考えても導き出されることのない答えだとしても、思考を深く持つ時間が長ければ長いほど、多くのものに気づけるはずです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次