僕は年に数回、勉強のために全国のお茶園を回ります。
その土地のお茶のことや、農家に栽培のことを聞いたりしながらお茶の知識を深めてきました。
毎回話を聞いては自分のレベルの低さに気づき落ち込んで帰るのですが、その気づきが自分の成長に欠かせないのも確かです。
ただ、今回はこれまでで一番厳しい気づきになりそうです。
自分のお茶がまだまだだと気づく
2020年6月24日
この日から新潟県村上市で約1週間、茶園の仕事を手伝わさせてくれることになりました。
仕事内容は日ごとに変わりますが、畑仕事から製品づくりまで幅広く経験させてもらいました。
3日目の仕事が終わった時、僕は改めて自分のお茶のレベルの低さを痛感しました。
畑仕事が味を変えると思った
初日と二日の仕事は畑で裾刈りでした。
炎天下の中、大びりばさみで余分な木を切ります。
畑の広さは学校の体育館3個分ぐらい、二日で約60%ほど刈り終えました。
正直めちゃくちゃ大な仕事だと思いました。
僕は農業に携わっていないですし、実際はもっと大変な仕事が1年を通してたくさんあるとは思いますが、この一つの作業だけで相当負担でした。
たったの数日でわずかな仕事ですが、この大変さを知れたことは本当に幸運だと思います。
この大変さを知れなければ、僕は一生お茶を美味しく淹れることが出来ないとさえ思います。
恥ずかしい話ですが、農家の仕事を大したことないと思っていたことがあります。
大切なのは淹れ手の技術だとさえ信じてた時期がありました。
今はその時の自分の考えが恥ずかしいですが、今回畑の作業をさせてもらえたことで農家の仕事の重要性を確信できました。
お茶に対して相当な思いがないとこの仕事は続けられないと感じました。
自分にそこまでの強い思いはあるのか、そう聞かれると自信をもってそうだと言い切れないです。
今まで以上にお茶を大切にできる
当たり前のことですが、そんなことですら感じることができていなかった自分に反省するしかないです。
仕事終わりに飲んだお茶
3日目の仕事が終わった後、茶園の主人がお茶を淹れてくれました。
正直な感想は、【やっぱりな】でした。
お茶の味が僕の淹れる味と全く違います。
自分で淹れたお茶にここまでの深みはないなと。
また修行しなおしです、それに気づけたことは幸運なことですが、正直悔しいですね。
お茶に込める信念が全然違う
お茶淹れだけを練習してもダメですね。
どうすれば美味しくなるか、一生懸命考えて練習していましたが、もっと広く感じることをしなければ美味しくなんてならないんです。
このことは前からずっと言われ続けていますが、自分の中で気づく瞬間ってなかなか訪れないもので、悩みながらお茶淹れを練習しています。
今回少しでもそれに気づけたことは幸いでした。
何でもそうだと思いますが、いい作品ってその人の人間性ですよね。
どんなに知識や技術があったとしても、人間性がよくなければ宝の持ち腐れです。
本当に美味しいお茶を作る人、淹れる人の人間性って本当に仏のように思えます。
一つ一つの言動や行動、それが無意識に出てるところが信じられない。
一生懸命やってるつもりですが、到底今のままでは追いつくことはできないと実感します。
でもだからこそ少しでも長くそんな人の近くにいることが大切なんだと思います。
弟子入りをして修行をする必要性はきっとこういうことだと思います。
今回畑仕事を経験させてもらったことで、本当にわずかですけど自分の信念が形づくられたんじゃないかと思います。
苦労は買ってでもしないさいとうよう言われます。
少しでも苦労が理解できれば何か変わるかも知れない、そう信じながらもっともっと美味しいお茶に近づくために、とにかく一生懸命やるしかないですね。