コラム

今もお茶に寄り添ってもらうべき日本人お茶がある生活っていいですよ

最近僕が思うお茶に関して一番すごいことは、お茶という言葉を知らない日本人がいないということです!
歴史もあり、子供の時から親しみがあり、本当に今でも人々の生活になくてはならない嗜好品です。

ただ、そんなお茶も急須で淹れる本格的なものに関してはなかなか飲まれる量も少なくなってきました。

なぜなら、手軽に飲めるPETボトルのお茶が普及しているからです。
形が変わってしまえどお茶は今も人々に寄り添っていることに変わりはないといことだけまずは良しとしましょう。

今日はお茶がどれだけ人々の生活に寄り添ってきたかと、今後もどれだけ寄り添うべきかをお話ししたいと思います。


【お茶】がつく言葉って、たくさんありますよね。
「茶腹も一時」「お茶をひく」「日常茶飯事」
これらの言葉には、当時の人々の生活に、いかにお茶が馴染んでいたかがよくわかります。

日本で一番お茶が栄えたのは江戸時代。
江戸が発展するに伴い、お茶というものが全国的に庶民に馴染んだ時代です。
茶の湯で知られる抹茶に関しては、まだまだ位の高い人が主流でしたが、この時代に煎茶というものが広く知れ渡り、人々の生活を変えていきました。
当時嗜好品飲料はお茶しかなく、城下町のある地域では茶の製造が盛んに行われ、出来のいいお茶は、政治にかかわる人やなどが飲んでいましたが、品質が少し低いお茶は一般庶民が飲み、この時に【番茶】というものが生まれました。

しかし、お茶はまだまだ全国的に生産はされていません。
お茶が手に入りにくい地域はどうしていたのでしょうか?

どうしてもお茶が飲みたい、そこから考えだされたのが【代用茶】というものです。
植物の葉や実などを煮出すことで得られる嗜好品飲料、お茶が持つ魅力はこういった製法にありました。

お茶の葉がなくても、お茶が作れる!
豆茶や桑茶などのお茶は、お茶の持つ可能性から生まれた新たな嗜好品飲料だったのでした。

こうして、全国的に独自のお茶の文化も生まれ、庶民の生活に馴染んでいったのです。

そこからお茶の付く言葉たちが生まれるのもごくごく自然なこと、それぐらい人々の生活にお茶というものが欠かせなかったことがよくわかります。

あの素晴らしい時代をもう一度

「よかったらお茶しませんか?」「お茶でもしながらゆっくりしましょう」
何気にこの言葉をよく使っていませんか?
初めて会った人でも、近所の知り合いでも、この言葉一つでお互いがつながり、お互いのことをよく知れたはずです。
そんなことが当たり前だった時代に戻ってほしい、僕が最近思うことです。

「お茶しましょう」は魔法の言葉です!
この一言で人と人が当たり前のようにつながれる日々、ゆっくりお茶を飲みながら、何かを考える時間がある日々、本当に素敵だと思います。

日々を生きている実感を持たせてくれること、僕が感じるお茶の魅力はここにあります!

ストレス社会となった現代、スマホが普及して個人主義が横行しいる世の中ってあまり幸せじゃないと思います。

人と交わることを嫌い、考えることもなく日々を過ごしている人があまりにも多すぎる。明るく楽しそうに街を歩いている人があまりにも少なすぎる。
人と交わり、笑い合い、協力し合って生きてきた時代、ゆっくりと自分の時間を作れることこそ本来の人間らしい生き方だと思います。

かつては生き方を選べなかった、人々の生活は生まれた家で決まっていました。位の低い人は一生位が低い、お茶も好きに飲むことができなかった。
好きな人生を選べなかったのに、人々は自分の人生を精一杯生きていたんです。

でも今は違います。生き方を自由に選ぶことが出来る。
今でこそ位とかそんなものは存在しないけど、充実した生き方や幸せな生き方を選ぶことはできるはずです。
できるはずなのに、精一杯自分の人生を生きている人が少なすぎる。

今の自分を変える、人生をより良くするその第一歩が【お茶】だと信じています。

お茶をゆっくり飲む時間を作ってください。
時に人とつながってください。
ゆっくり人と話しましょう、笑い合いましょう。
ゆっくりリラックスしながら、季節を感じながら物思いにふけてみましょう。

昔は仕事の合間にお茶を囲んで楽しく話をしていました。
高度経済成長のとき、若者はお茶を片手に頑張っていました。
田舎に帰れば、縁側でゆっくりお茶を飲みながら庭を眺めていました。
時代と共に人々に寄り添ってきたお茶、もう一度寄り添って生きましょう!

その人たちはきっと幸せです。
それが実現したら、人生を生きてる実感が持ててると思います!!