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お茶をみることの大切さ

お茶をみることの大切さを感じたことがありますか?
お茶の葉をただ見るのではなく、全体をみることが出来るようになると、お茶の味を自由に操ることができます。

お茶に限ったことではないですが、一つの分野を突き詰めていくと、おのずとわかってくることがあります。
素人にはわからない感覚や感じ方など挙げればきりがないですが、長くやっている人が持つ能力です。

おそらく、多くの人がそういうものに憧れて、それを追いかける。
答えのない旅をはじめ、好奇心を持ち続けられた人だけがその境地にたどり着けるのだと思います。

という大げさなことを書きましたが、今回【みる】とあえてひらがなで書いた理由と、みることとはを少しお話しします。
僕の母に「ものは心でみるものだから」そう教わったことがあります。
その言葉の意味をずっと考えていました。

心で見るというのは、感じることである。

僕はそう思います。

何かを目指し日々精進するとき、ただ動くだけでは上達はしません。
お茶淹れもそうですが、急須にお茶の葉を入れてお湯を注ぐ。
この動作をただ何千、何万回と繰り返したところで上達などしないのです。
その間で、どうすればよくなるかを考え、どう変わったかを感じること、それを繰り返すことで上手くなっていくと僕は思います。
これが【みる】ことであり、【みれる】につながる事であると思うのです。

才能は99%の努力、その努力とはどうすればよいかを考えること。そしてここが一番難しく、面倒なのです。

面倒だからみんなやらない、だから本当にプロになれる人は限られます。
考える事、そして感じようとすることはとても疲れる事なのです。

でも今一度言います。
それでもみてほしい。
今自分がやっていること、目指していることがあるなら頑張って【みて】ほしい。
どうすればよくなるかを考え、どう変わったかを感じてほしい。
地味で手間のかかることの繰り返し、その先に誰も想像もつかないような結果が待っています。

お茶の味もそうです。
単なるお茶淹れにそこまで大げさなことがあるのかと思うかもしれません。
でも大げさではないと思います。
確かに感動するお茶を淹れる人が世の中にはいます。
そんな人のお茶を飲んで僕もお茶が本当に好きになりました。

人々の記憶に残るお茶を淹れる。
そこに行きつくためには、これ以上にないぐらい自分の中に【みたもの】、【感じたもの】を刷り込んでいくしかない。
それができて初めて外で発揮できるのだと思います。

人々の心を揺さぶる何かを探せる人生って素敵ですね。